錦糸三和町会の沿革

錦糸三和町会の起こりは、昭和3年神田区から製菓業者の集団移転と軌を一つにしていると言っても過言ではありませんが、それ以前はどのような土地であったのでしょうか。
「錦糸町」が位置する墨田区南部「本所」地区は500年ほど前までは、海の底にあり、室町末期、 太田道灌の江戸支配ごろから葛飾郡本所村として歴史に登場してくる。
徳川家康が江戸に幕府を開くと江戸の町は発展していくが、この地は湿地帯であったため開発は遅れていた。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたほど江戸は火事が多く、特に明暦3年(振り袖火事)の大火後、幕府はその復興と防災上の必要から市中に火除け地などを設け、その代替地として大川(隅田川)以東の開発に着手し、本所奉行がその任にあたった。
堅川、大横川、南北割下水の開削と土地埋め立て事業により、この地は武家地として出現した。明治5年、上地され旧武家地、寺社地の合併後、町地となり「錦糸堀」に沿っていることから「本所錦糸町」と称された。
その当時の「本所錦糸町」は現在の江東橋四丁目の一部、東京楽天地、JR錦糸町駅その鉄道用地あたりでほとんど民家はなく、現在の錦糸三和町会の地域と重なっていませんでした。
錦糸二、三丁目の大半は本所区太平町二丁目の地名であり、「錦糸町北部町会」といわれていました。また、錦糸公園は旧亀井戸村飛地矢場耕地錦糸堀耕地といい、明治24年本所区に編入され、柳島町となり陸軍糧秣廠本所倉庫となっていた。

年号 事象
明治22年 総武鉄道㈱が(江東橋一丁目)に設立
明治23 平岡煕が日本最初の車両工場を錦糸町に設立(東京楽天地)
明治26年 服部金太郎が精工舎工場を設立
明治27年 12月 総武鉄道 佐倉~本所間 開通 本所停車場(錦糸町駅)開設
明治35年 府立第三中学校(両国高校)が(江東橋一丁目)に移転
明治37年 総武鉄道 両国停車場まで延伸される
明治44年 本所区内の町名改正により本所錦糸町から錦糸町となる
大正 6年 城東電車 錦糸町~小松川間 開通
大正 7年 6月 東京市立太平尋常小学校 (太平一丁目)に開校
大正12年 9月 関東大震災 (本所区内 死者48,393人)
昭和元年 5月 帝都復興計画による区画整理(第51地区)の移転工事開始昭和4年8月 移転工事完了南割下水埋め立てられる (現在の北斎通り)
錦糸町のはじまり
昭和3年 4月 神田区東竜閑町、大和町の製菓業者とその関連業者の大部分住民が
区画整理された現在地に政府の要請により集団移転した移転集団 公進会代表 宮田国蔵氏 大竜会代表 徳田竹次郎氏
昭和3年 7月 錦糸町の陸軍糧秣廠本所倉庫跡地に錦糸公園開園 錦糸町菓子街町会結成 (町会長 宮田 国蔵氏)
昭和4年 11月 太平尋常小学校の鉄筋コンクリート3階建て校舎 現在地に完成錦糸尋常小学校に改称
昭和5年 4月 区画整理完了に伴う町名変更により錦糸町の一部が江東橋一丁目、江東橋四丁目に編入
昭和6年 錦糸橋 架設
昭和7年 5月 区画整理完了に伴う町名変更 (現在のかたちに相似する)錦糸町一丁目は(太平町一丁目、太平町二丁目、錦糸町の各一部)錦糸町二丁目は (太平町二丁目、錦糸町の各一部)錦糸町三丁目は(太平町二丁目、錦糸町の各一部)錦糸町四丁目は(錦糸町、柳島町の各一部)に整理編成替えとなる
昭和10年 総武線が千葉まで延長開通する
昭和12年 江東楽天地 設立 江東劇場、本所劇場 開場
昭和16年 12月 太平洋戦争 開戦
昭和19年 8月 錦糸国民学校児童が千葉県千葉郡に学童疎開する
昭和19年 10月 町会整備により菓子街町会解散 (町会長 長谷川秀吉氏)北部町会と合併し、錦糸町一,二,三,四各町会に改組される
昭和20年 3月 東京大空襲により錦糸町を含む本所地区悉く焼土と化す(本所地区死者25,017人)
昭和20年 8月 終 戦
昭和22年 9月 戦後町会の先駆として錦糸親和会を結成、郷土再建に邁進する(会長 秋山 定吉氏)復興祭として錦糸町一,二,三,四丁目町連合で神輿を渡御する
昭和24年 8月 キテイ台風 上陸
昭和24年 9月 住民の復帰増大に共に錦糸親和会を改組し、錦糸協議会とする
昭和24年 11月 都電 錦糸町~大塚間 開通
昭和25年 6月 錦糸公園 復旧再開錦糸協議会を発展的解散し、錦糸二、三、四丁目住民による錦糸三和会を結成、町内発展を図る (会長 杉田浦次郎氏)
昭和28年 6月 錦糸三和会を現在の錦糸三和町会に改組し、町会旗を新調、
(初代町会長 真宗末一氏)
昭和29年 4月 墨田区立錦糸中学校 開校
昭和30年 9月 江東地区初めての本格的オーケストラ・アサヒ・コンサートが
錦糸公園音楽堂で開催され、約6万人の入園者をという公園
が始まって以来の最高入園者記録を作る。
昭和31年 周辺町会と協力して、錦糸町貨物駅の立ち退きと踏切撤去の陳情運
動を開始する
昭和33年 12月 東京タワー完成開場
昭和32年 9月 狩野川台風 関東上陸
昭和36年 8月 江東橋地区の区画整理完了し、錦糸町の一部が江東橋に編入となる
昭和37年 4月 錦糸町駅ビル(テルミナ) 全館開館
昭和39年 10月 東京オリンピック 開催
昭和40年 4月 錦糸公園が墨田区に移管される  8月総武線複々線化工事開始
昭和42年 2月 錦糸公園に墨田区立体育館が完成、錦糸公園も全面的に改修
スポーツ公園として装いを新たにする
昭和42年 5月 住居表示実施により錦糸町二、三、四丁目から錦糸二、三、四丁目
に呼称変更となる。二、三丁目境に道路改造工事により歩道設置
昭和43年 6月 錦糸町貨物駅及び踏切廃止
昭和46年 3月 都電 廃止 バス路線となる 首都高7号線(小松川線)開通
昭和50年 11月 昭和29年、50年と2度に亘り千種稲荷の浄財金を以って
錦糸公園内に桜を植樹する
昭和51年 9月 長崎橋通り(現北斎通り)に道路改造により歩道・街路樹設置
昭和53年 12月 錦糸町駅北口改札口 利用時間制限つき開設                    昭和63年4月から終日利用となる
昭和54年 4月 宇井又三郎氏 町会長就任
昭和55年 5月 錦糸町駅高架下店舗「らがーる」オープン
昭和56年 6月 墨田区が「錦糸町周辺基本構想(案)」を発表
昭和57年 4月 錦糸町駅北口バスターミナル 開設
昭和58年 4月 町会名簿 発行すみだ産業会館オープン東京ディズニーランド開園
昭和58年 6月 国、都、区、国鉄による錦糸町駅北側用地活用計画検討委員会発足
これに伴い、錦糸町駅北側再開発が具体性をおびる.町会、各種関係団体をもって錦糸町駅北側再開発対策協議会を発足(会長 宇井又三郎氏 )
昭和61年 5月 権利者全員による「錦糸町駅北口地区再開発準備組合」発足
昭和62年 4月 9月 国鉄分割民営化スタートJR各社発足都市計画手続き開始住民組織を「錦糸町駅北口地区対策協議会」として再結成し、都市計画
審議会に対し、意見書を提出する以後、住民を代表する組織として適宜、要望書を再開発組合に提出、環境問題、補償問題等、交渉にあたる
昭和63年 4月 水嶋庸介氏 町会長就任 (再開発対策協議会会長 就任)第1回錦糸公園桜まつりを主催錦糸三和町会きんし料飲組合、錦糸町商店連
合会 後援墨田区文化観光協会で開催する第24回まで続く
昭和63年 8月 再開発事業により建設される墨田区文化会館(トリフォニーホール)をフランチャイズとする新日本フィルと友好記念行事として錦糸公園に於いて「ユカタ・デ・コンサート」を墨田区が開催。町会として模擬店を出店する (平成7年 最終回)
平成元年 9月 町会名簿 改訂発行
平成 5年 2月 住民集会(於錦糸小学校)にて錦糸町北口地区市街地再開発工事協定に関する協議会執行部案を承認
平成 5年 3月 再開発組合と再開発対策協議会との間で、「錦糸町北口地区第一種市街地開発事業の施行に伴う基本協定書」を締結する再開発組合は除去整地工事に着手する
平成 5年 6月 営団地下鉄半蔵門線延伸 (水天宮~押上間)認可
平成 5年 10月 工事に伴う補償交渉合意 (住民集会にて承認)
平成5年 11月 再開発事業地鎮祭施行及び本工事に着手する
平成7年 11月 営団地下鉄半蔵門線錦糸町駅駅舎工事 着工
平成9年 10月 再開発事業完成(アルカタワーズ オープン)祝賀イベントに参加
平成10年 5月    5/2 町会会館建設用地取得に伴い、任意団体錦糸三町会を認可法人錦糸三町会と改組する (町会長 水嶋庸介氏)
平成12年 4月 JR錦糸町駅「テルミナ」新装オープン
平成14年 3月 複合商業施設「アルカキット錦糸町」(錦糸町そごう跡)オープン
平成15年 3月 営団地下鉄半蔵門線延伸(水天宮~押上間)開通 営団錦糸町駅開業祝賀イベントに参加 全線開通半蔵門線 記念乗車券
平成16年 4月 小河原 茂氏 町会長就任
平成18年 4月 「オリナスモール」と「オリナスコア」精工舎跡地に開業
平成19年 9月 菓子会館の売却を契機に建設委員会を設け、町会会館建設を計画する
平成20年 4月 町会会館の設計プラン及び資金計画決定を受け、寄付金募集を町民にお願いする㈱岡建工事と町会会館建設請負契約締結                                  6/10地鎮祭 7/25上棟式
平成21年 12月 12/8 錦糸三和町会会館 落成 東武ホテルにて落成祝賀会開催
平成22年 4月 都区の補助を受け、町内各所に防犯カメラ設置
平成24年 4月 道家 厚氏 町会長就任
平成24年 5月 東京スカイツリー開業  祝賀イベント(神輿渡御)に参加
平成26年 9月 町会旗 新調
平成26年11月 錦糸中学校 開校60周年記念
平成27年 5月 錦糸三和町会 ホームページ開設
平成28年5月 清水 敏夫氏 町会長就任
平成30年11月 錦糸小学校 開校100周年記念
令和元年5月 平成天皇 生前退位により元号令和に改元
令和  2年  3月 都・区の補助を受け、記録一体型街頭防犯カメラに更新、北口地区40台中、当町会は17台設置負担
 平成31年~令和5年 平成31年2月頃より、新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の世界的パンデミックが流行し始める。全国一斉学校閉鎖、「三密」マスク着用生活、「TOKYO2020」オリンピックの翌年延期と無観客開催等、市民生活や経済活動に甚大なる影響をもたらした。書面総会等、町会活動も自粛を余儀なくされた。令和5年5月になり、感染症分類2類から5類に緩和され、日常の生活に戻りつつあった。
令和6年3月 東京都ゼロミッション化に向けた事業助成金を活用し、町会会館の空調設備を更新する。
令和6年5月 片岡庄一郎氏 町会長に就任