故大塚高康氏の貴重なフォトに息子さんの大塚高司氏が撮影された現在のフォトを見比べて見ました。
コメントは佐野 諒氏です
1927年(昭和2年)Ⓒ大塚高康氏 撮影 1999年(平成2年) Ⓒ大塚高司氏 撮影
錦糸公園から見た四つ目通り(錦糸町駅方面)中央左寄りに見えるのがガード。その手前に牛が四頭、右隅の土手の向こう側には伊藤左千夫の牧場(錦糸町駅南口広場)があった。現在の錦糸町の街並みからは想像もつかない何とも穏やかな田舎そのものの風景に驚かされる
1927年(昭和2年)Ⓒ大塚高康氏 撮影 1999年(平成2年) Ⓒ大塚高司氏 撮影
この年に錦糸公園が開園した。右手の小さな川は、南割下水の延長として横十間川に繋がっていた。本所区誌では“錦糸堀”という名称になっているが、これには諸説があり、現在ではどこだったかは不明である。左隅の看板には、「東京市錦糸堀児童公園」とかいてある。右側の大きな建物は陸軍の倉庫。
1927年(昭和2年)Ⓒ大塚高康氏 撮影 1999年(平成2年) Ⓒ大塚高司氏 撮影
錦糸町駅北口付近の写真。明治27年総武鉄道(佐倉~本所間)が開通、そしてまもなく国鉄が買収した。現在の錦糸町駅である本所停車場が開設され、その当時の駅の位置は現在より西側の大横川の近くにあった。奥に見えるのは元日本通運の倉庫。大横川以西には線路はなく、両国駅まで延伸されたのは明治37年で、御茶ノ水駅まで延伸したのは昭和7年である。
1927年(昭和2年)Ⓒ大塚高康氏 撮影 1999年(平成2年) Ⓒ大塚高司氏 撮影
錦糸2丁目付近から現在の北斎通りを両国方面を撮った写真。右側が本所行きの荷物置き場で、沢山の荷物や台車が置かれている。中央の堀は千葉方面から材木を運んでくるのにも使われた。雨が降れば泥んこ道であった。
1927年(昭和2年)Ⓒ大塚高康氏 撮影 1999年(平成2年) Ⓒ大塚高司氏 撮影
上の写真は堀の左側をおばあさんが歩いています。この頃の錦糸町駅は江東橋の南口しかなく、スカイビュー通りのガードを抜けたあたりに小さな植え込みがあり、そこが駅の出入り口でした。当時はそのガードはありませんでしたから、おばあさんが駅に向かうとすれば、今のアルカウエストビルの西側を通って大周りで行くしかありませんでした。中央に見える大きな建物は陸軍の倉庫で、錦糸2,3,4丁目にはいくつも建っていました。